山田恵諦(
比叡山延暦寺第232世天台座主)の著作から、印象に残った言葉を紹介する。
◆ある人がお釈迦様に「あなたに悪心はありますか」と尋ねると、「悪心はあるがそれを使わないのを仏というのだ」と答えられました。(『和して同ぜず』 大和出版)
◆躾という語は、身を美しくすると書きます。身を美しくするというのは、飾り立てるということとは逆で、裸のままで美しくなければならない。つまり、性質を丸出しにして美しくなければならない。本当のところを隠しておったり、装うておったりしたら、ちょっと汚いものになってくる
。 性質丸出しで美しいのが、なんといっても一番です。そうなるようにするのが、本当の意味での躾なのです。(『大愚のすすめ』 大和出版)
ちなみに躾という漢字は国字(日本で作られた漢字)である。
(むくげ)
◆人間の価値はどこにあるかというと、その人間が死んでから百年たってはじめてわかる。百年後の評価がその人の価値を決定するのです。(『大愚のすすめ』大和出版)
◆大愚とは相手を第一に考え、自己を第二に置くということです。自分一人が喜んでも、それはただ一人だけの喜びで、寂しいものなんです。それよりは5人喜ばせ、10人喜ばせるほうがずっとよい。結局そのほうが、自分の喜びだってずっと大きくなるのです。(『大愚のすすめ』大和出版)
◆人間の心の中の最も重要なところはどこなのか。余分なものは、捨てて、捨てて、捨てていく。そして、最後の最後に残ったものが善心です。つまり、相手を生かし喜ばす。伝教大師(最澄)はこれを「忘己利他」の心として説いておられます(『和して同ぜず』 大和出版)
◆利口になろう、賢くなろうと思うんではなくて、愚になることです。力を抜いて、とことん愚かな自分というものを見つめてみる。たとえば泳ぎのできん者は、泳ごう泳ごう、浮き上がろう、浮き上がろうとして体を固くして、ますますアップアップする。
だから溺れてしまう。えいままよ、と一息吸い込んで底の底まで沈んでやろうと全身の力を抜いてみる。水の中でもしっかり目を開けて見るくらいの覚悟を決めてしまう。すると人間の体なんてものは、自然に浮くようにできておる。(『大愚のすすめ』 大和出版)
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